オステオパシー

オステオパシーとはアメリカ合衆国で発展した手技による徒手療法です。アメリカでは民間療法ではなく、正式な医療大学に進学した医学生が6年間の学習期間を経て後、さらに3年間のオステオパシー学科へ進学し、取得することができるアメリカ国家資格となります。

 

オステオパシーはアメリカ合衆国の医師アンドリュー・テーラー・スティルによって創設された代替医療の一つで、手技療法を用いて様々な健康問題に対処する総合的なアプローチです。

 

日本では、大正期にアメリカから導入され、カイロプラクティックやスポンディロセラピーなどと共に「療術」と呼ばれ、日本の手技療法に大きな影響を与えました。

 

オステオパシーの名前は、ギリシャ語の「Osteon」(骨)と「Pathos」(病理、治療)をかけて創作され、身体全体の機能と構造を一体のユニットとして捉え、自然治癒力を促進する考えに基づいています。

 

オステオパシーは医学的な知識に基礎として骨格や運動器系、循環器系、脳神経系など広範囲の身体の要素を調整する手技を用います。そのため、オステオパスは手の感覚を常に研ぎ澄ませており、身体の問題を診断し治療していきます。

 

アメリカの国立補完統合衛生センターでは、「手技療法と身体技法」の一部として認識されており、カイロプラクティックやマッサージ療法と同様の手法を含んでいます。

 

オステオパシー最大の特徴はカイロプラクティックと違って施術そのものが非常に繊細でソフトであるということです。アメリカの医師、Dr.サザーランドが生理学的に脳脊髄液の律動であるクラニオセイクラルリズムを発見して後、よりソフトさが顕著になったといえるでしょう。クラニオセイクラルリズムを検知し、操作するにはほんのわずか5g程度の押圧でなければ成功させることはできず、最も難しい徒手療法とも言えます。

 


修練が必要な手技ではありますが、人本来の自然治癒力を大幅に伸ばすことができるため、薬物療法や手術療法に依存することなく治療することができる活気的な治療法と言えます。

オステオパシー医学の頭蓋仙骨療法と脳脊髄液の関係性 〜生命の源、脳脊髄液〜

アンドリュー・テーラー・スティル医師 〜オステオパシーの創始者〜

アンドリュー・テーラー・スティルはアメリカの医師で、オステオパシーの創始者として知られています。彼はバージニア州で生まれ、医学の学習を経て、ミズーリ州で医師の資格を取得しました。

 

南北戦争では北軍の従軍医師として奉仕しました。戦後、彼は脊髄膜炎で3人の子供を失い、従来の医学に疑問を抱きました。

 

スティルは10年以上にわたる研究と臨床観察に基づき、筋肉や骨格の重要性に着目し、適切な刺激が健康の維持に寄与すると信じました。

 

また、オステオパシーの手技を用いて身体の問題を修正することで、自己治癒力を高める可能性を追求しました。彼は予防医学の重要性を強調し、医師は患者の全体的な健康に焦点を当てるべきだと主張しました。

 

これらの信念に基づき、スティルはオステオパシーの基盤を築き、アメリカン・スクール・オブ・オステオパシー(現在のA. T. Still University)を設立し、オステオパシーの普及と教育に貢献しました。